【多様性について】合気論争 武術家の思想より|忍者猫 ブログ

【多様性について】合気論争 武術家の思想より

【多様性について】合気論争 武術家の思想より

大東流ではこれこそが合気である。お前のは合気ではない、といった真の合気論争が常にある。

ここで一つ気になるのは、原義的な意味では合気ではないかもしれないが、現象としては似たことが出来る別の術理が発見された場合、それに価値はあるか、

それを、これも合気です、これこそが合気ですと宣伝することは憚られるが、実際に有効な技術であるならそれはそれで武術史の一頁に書き記すべきものだろう。

釈迦は南無阿弥陀仏なんて一回も言っていないが浄土教も仏教の一発展形であるように。


真贋と価値は一致しない。ある人にとっては無意味な真物もあれば貴重な贋物もある。
同時に逆のことも言えて、いかに実力があっても、それが正統か否か、は別の問題になる。

当たり前のことだが武術界では一方を満たせばもう一方の条件も強引に塗りつぶせると考える人が多い。


で、多様性について、というのは、粗悪なもの、野蛮なもの、単純なもの、繊細なもの、複雑なもの、それぞれにニーズがあり、担う役割が違うということだ。

試合に勝てる技術が痴漢を撃退する技術と必ずしも同一ではないように、物差しによって必要な技能は変化する。


たとえば今年はコロナの年であり、日本人の七割はワクチンを接種している。

これはまあちょうどいいくらいで、打った方がいいにせよ、後で重大な後遺症が発見されたにせよ、全滅しないで済む。


未来に何が必要かはわからないので、ある程度、多様性はあったほうがいい。



いや、ワクチンを打たない人は陰謀論者だ、全員打つべきだ、という人もいるだろうが、広い目で見ると、陰謀論者には陰謀論者でいることによる社会的な意味がある。

火の鳥や銃夢、デモリションマンのような管理された人工楽園を作ろうとしたとき、これだけ反発を受けるぞ、という牽制になっている。



そして人工楽園主義者もまた悪役として描かれやすいが、現実的により良い世界を作る上で、マザーコンピューターが管理する世界もまた間違いとも言い切れない。

試験管で遺伝子が管理されるのもおかしいが、子が捨てられ虐待される世界もおかしい。

大事なのは落としどころと加減ではないだろうか。


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