瀬戸内寂聴を 尊敬するようになった理由 罰と赦し 悪人正機説と業
まあ正直
お金も稼ぐし 色もの坊主という感じがしましたが
それでも人を助けているということにはかないませんね
法律が軽罪人を罰するのは、わずかに数か月かあるいは数か年に過ぎない。
けれども道徳はそのうえに、さらにその人の生涯を呪う。
(大杉栄「道徳と法律」)
「悪人を救う意味があるんですか?」
「当たり前や! お前、命をどこから見とるんや!
命は善悪で見るものじゃない。肉も大根も食うやろ?
何かの命がお前の命を支えとる。
善人なんか、この世におらん」
(酒井雄哉大阿闍梨)
私は「宗教」と単なる「道徳」の大きな違いの一つに
「赦し」があると思っている。
道徳は罰には強い関心を寄せるが、「赦し」にはさほど関心を寄せない。
逆に宗教は「赦し」に強い関心を寄せる。
アイルランドの寓話に「正直トマス」というのがある。
トマスと言う羊飼いが妖精の女王と恋人になり、予言の能力と詩の才能を贈られる。
しかしこれにはとんでもない副作用があった。トマスは嘘をつくことが出来なくなってしまったのだ。
結果、トマスは人々を怒らせたり傷付けたりして、まともな社会生活が出来なくなってしまうのだ。
「嘘をつく」ということは、道徳的に良くないことである。
実際、仏教にも「不妄語戒」と言って、嘘を禁じる戒律がある。
しかし人は日常的にウソをついてるし、そうしなければ
「正直トマス」を見ても分かるように、まともな社会生活
が出来なくなってしまうのだ。
「懺悔」というのは、仏教用語である。
仏教において、お勤行の前にには、懺悔文を唱えるのが
普通である。
特に「華厳経」の一節、我昔所造諸悪業(以下略)が有名である。
確かに仏教では、五戒や十善戒といった戒律がある。
しかしこの戒律を完全に守れる人が居たとしたら
それは菩薩か如来である。
不妄語戒(ウソをつくんじゃねえ)
ひとつ例にとっても、これを完全に守るなんて不可能である。
これは「正直トマス」の寓話を見てもあきらかである。
それは仏様はよーくご存知なのだ。
これこそが人間の「業」なのだ。
しかしだからといって
「いくらウソをついても構わない」と考えるのは堕落である。
それでは三悪趣(地獄餓鬼畜生)に堕ちてしまう。
だからこその戒律であり、守り切れなかった場合の懺悔なのだ。
自分の罪を懺悔し、他人の過ちも赦す。
これは親鸞さんの悪人正機説にも通じる。
「歎異抄」における悪人とは
「自分の悪を自覚している人」のことである。
逆に「自分を善人と思い込んでる人」は、自分の悪に鈍感になりがちだ。
むしろ自分は悪人だという自覚のある人ほど、必死に懺悔し、阿弥陀さんにすがる。
ならば阿弥陀さんに近いのは、自分の悪を自覚している
「悪人」ということになる。
これが本来の悪人正機説である。
こうした考えはキリスト教にもある。
イエスさんはとにかく偽善者を嫌った。
しかし福音書を良く読むと、イエスさんが一番嫌った
「偽善」は、自分だって罪を犯しているのに
他人の罪は厳しく責めたてる人間のことである事がわかる。
こうした偽善者で、より戯画的なのは嗜虐欲を正義でコーティングした
「死刑! 死刑!」の大合唱をする恐ろしい群衆だろう。
有名なのは「ヨハネによる福音書」第8章3~11節だろう。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に、まず石を投げなさい」
とまれ、これは瀬戸内寂聴さんへの罵倒にも言える。
彼女を罵倒している人達は、そんなにご立派な人格者なのだろうか?
彼女の愛欲の地獄の懺悔文を読んで
彼女をナマグサ呼ばわりするのは、およそ仏教的ではないのだ。
新興宗教の教祖のように自分を聖人のように見せても必ずボロがでる。
むしろ自分の弱さを告白し、自分と似た苦しみを
もつ女性に手を差し伸べた彼女の生き方は、およそ仏教的なのだ。
彼女の有名な悩み相談にこんなのがある。
「私は一度だけ間違いを犯しました。
息子は成長する程、夫ではなくあの人に似てきているように思います。
しかし夫も息子もそれを知りません。
夫と私の間の子供と信じています。
私は正直に打ち明け、DNA検査をするべきなのでしょうか?」
まあ、凡百の人間なら
「そうなさい、夫と息子さんに謝罪しなさい」と言うだろう。
しかし寂聴さんは即答する。
「絶対に秘密にしなさい。今後その話しを二度としてはいけません。
一生秘密にして、そのまま墓の中に持って行きなさい。
打ち明けても、あなたも夫も息子さんも全員が不幸になるだけです。
秘密にすれば苦しむのは貴女だけで済みます。それがあなたの業なのです」
これは愛欲の地獄を経験した彼女だからこそ、だろう。
前にも書いたが、仏教において戒律は「手段」にすぎない。
戒律に執着して人を不幸にするのは、本末転倒なのである。
これが仏教的な考え方なのだ。
彼女は行き場の無い女性を家政婦の名目で家に住まわせた。
それは女性達のシェアハウスになったが
寂聴さんは律義に給与を払った。
彼女が老骨に鞭うってお金を稼いでいたのには、そうした理由があった。
女性達は「見て居られない」と次々に自立して行く。
けど寂聴さんはまた別の行き場の無い女性を家に居れてしまう。
これも知る人ぞ知るエピソードだ。
また彼女の「殺したがる馬鹿ども」は、独り歩きをしている。
けど、死刑囚ってのは、世間から見放され
友人から家族からも見放された連中だ。
それで死を待つばかりの人間である。
世間を捨てた坊主が、手を差し伸べなくてどーすんの?
って話しなのだ。
もう一度言うが、彼女の愛欲の地獄の懺悔文を読んで
彼女をナマグサ呼ばわりするのは、およそ仏教的ではないのだ。
そもそも「ヨハネによる福音書」第8章3~11節じゃないけど
自分は清く正しく美しいご立派な生き方をしてきたのか? である。
人間は、大なり小なり悪を成さねば生きて行けない。
これが「業」である。
理性の無い正義、知性の無い正義。
慈悲の無い厳罰主義。
これは仏教的には、「阿修羅道」である。
しかしだからといって、
「いくら悪いことをしても構わない」
「悪を非難・批判すべきではない」
と考えるのは堕落である。
それでは三悪趣(地獄餓鬼畜生)に堕ちてしまう。
何事も極端なのは良くない。
だからこその戒律であり、守り切れなかった場合の懺悔なのだ。
そして「自分を悪」を自覚すれば、自然とバランス感覚も生じると思うのだ。
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